やってみたかったこと…
市川崑監督の映画『犬神家の一族』がスキでもう何度繰り返し観たことか…
公開された1976年当時、角川書店がメディアと組んで新たなエンタメの形を発信し始め、多感なお年頃の僕はその戦略にどっぷり浸かりその後の『人間の証明』や『野性の証明』は観るのが当たり前のように劇場へ吸い込まれて行った。
私が映画好きになったのはこの時代のおかげだと思う。
そして翌年には名作『悪魔の手毬唄』が、その後も毎年のように『獄門島』『女王蜂』と続き、『病院坂の首縊りの家』で“石坂浩二さん=金田一”が終わってしまった。
数年後、市川崑監督のミステリ『天河伝説殺人事件』、豊川=金田一の『八つ墓村 』が公開されたが、いわゆる“石坂=金田一”のもつ独特な雰囲気を感じられず…
したがって『犬神家の一族』をはじめ“石坂=金田一”映画を繰り返し観てしまうわけで...
こんな思いをしているのは私だけではなく世には“市川崑監督”+“石坂=金田一”を待望する者は多く生息していて、そんな我々の思いがどこでどう通じたのか? 一昨年末(2006年12月16日)に30年の時を経て望みどおりのコンビで公開された!
(゜ー゜?)(。_。?)(゜-゜?)(。_。?)(゜ー゜?)(。_。?)(゜-゜?)(。_。?)(゜ー゜?)(。_。?)
あれから1年が経ち『新犬神家の一族』は公開時に観たきりとなっていた。
まぁ、あまりに期待しすぎたせいなのか、懐かしさに涙が出そうだったが作品的には満足出来ないものだった。
一体何がダメだと感じてしまったのか…?
2本をじっくり見比べてみたいとずーっと思っていた。
それがやっとこのお正月休みにできた『やてみたかったこと…』
犬神家の一族
(画像は基本的に上が旧作、下が新作とする)
本作で内容的にもビジュアル的にも非常に重要なのが“野々宮珠世”だ。
旧作では“島田陽子さん”、新作は“松嶋菜々子さん”が演じる。
新作を見る前から不安はあった… 「松嶋菜々子が珠世?」 ちがう。それはちがうぞ!

表向き犬神家と血縁ではない“野々宮珠世”は生活に不安は無くともアノいじわる三姉妹が育つような家では決してのびのび出来る筈も無く肩身の狭い思いをしてきたことが想像に難くない。
お金持ちの令嬢風ではあっても“影”と“儚さ”を感じさせてくれるはず…
僕が思うにこの“影”と“儚さ”が“島田=珠世”には有って“松嶋=珠世”からは感じられない。
正直“松嶋菜々子さん”は大好きだ。 でも“珠世”にはなりえない。
プロローグでの犬神佐兵衛翁の臨終場面。
“仲代達矢さん”演ずる佐兵衛翁はいまわの際だけれど今にもすくっと立ち上がって「刀をもて~ぃ。馬を引け~ぃ!」とか言いそうなくらい力強く見えてしまう。

セットや小道具、カメラワークやモノクロ映像など良いところももちろんあったけれど、結局は冒頭から“ケチ”をつけながら観初めてしまった…
“石坂=金田一”登場のシーンには感動した~!
こーゆーのは大事だな。まったく同じ感じ…

でも、新作では金田一と背景はCG合成だって書いてあった。 すごいね~!
さて、ここで那須ホテルの女中“はる”の登場。
旧作は“坂口良子さん”
金田一シリーズでは『獄門島』での床屋の娘でも好演している。
新作は“深田恭子さん”で、ここで圧倒的に差が出たと思った。

まず、金田一と出会うシーン。
“深田=はる”の歩き方がまるでダメ。
「前の方から怪しい風体の男が歩いてくるのに気付き、用心しながら歩いてきてください。」とでも指示がでていたのだろうか?
だったらあんな道の真ん中歩かせないだろうに。
“深田さん”は時代とか境遇とかを考えて役を演じているのかな?と思えるほどまったくしっくり来ない。
俳優のせいなのか、演出のせいなのか…?
力の抜けた田舎娘風の歩きをしている“坂口=はる”の上手さ!
民宿柏屋を営む夫婦にも納得がいかない…

旧作では超名バイプレヤー“三木のり平さん”が演じていた字の書けない主人久平役は誰がやっても勝てないだろうけれど、どうして奥さん役に“中村玉緒さん”をもって来たのだろうか?
人がやっと読めるかって程度の文字しか書けない奥さんの割にはしっかりしすぎるって言うか前に出すぎだと思う。
とにかく非常にバランスの悪さを感じた。
“中村玉緒さん”を奥さん役にするのなら主人役は顔も知らないような人でも使えばイイのに…
結構楽しめたのは“犬神小夜子”を演じた“川口晶さん”と“奥菜恵さん”
遺言状の内容がわかって珠世に「(結婚相手に)佐智さんを選んだら恨むわよ」と告げる小夜子…

旧作ではカメラは立ち去る“川口=小夜子”を追って行って、それから取り残された珠世が辛そうに儚げに部屋へ戻る。
新作ではとんでもない身長差のある二人が廊下を歩きながら話し始める。
脅すように強気で話す“奥菜=小夜子”だがあまりに小さいので可愛く見えちゃう。
そして最後は大きな珠世を残して退場、即次の場面に切り替わる…
これでは一方的に文句を言われた珠世の辛さも何も伝わらず余韻も無い。
“犬神小夜子”には他にも印象的なシーンが多い。

これはどちらもイイね…
とくにビックリしたマスオさんみたいに倒れるところが( ̄▽ ̄)b グッ!
金田一映画で忘れちゃいけないのが“加藤武さん”
旧作では“橘警察署長”、新作では“等々力署長”。
このシリーズで“加藤さん”と言えば「よし、わかった!」の名台詞とともに欠かせない。

さすがに30年前の馬力は感じられないけれど、これはこれでよかったかと…
そして新旧三姉妹。
僕としては圧倒的に旧作に軍配が上がっている。
が、新作で次女“犬神竹子”を演じた“松坂慶子さん”は凄く良かったと思う。

ちなみに旧次女役の“三条美紀さん”が新作では松子の母“お園”を演じていて、うれしい出演だけれど旧作の“原泉”の存在には敵い…

三女“犬神梅子”の新作“萬田久子さん”は旧作の“草笛光子さん”と比べてしまうと存在が薄い気がする。

そしてこの“草笛光子さん”が新作では琴の師匠役で出演していてイイ感じ。

旧作では“岸田今日子さん”が演じていて何と言うのかこの役には“岸田さん”がピッタリ過ぎるので、さしもの“草笛さん”でも太刀打ち出来ない。
そして長女“犬神松子”に関してはもう語るまでもない…
旧作“高峰三枝子さん”の存在感・上手さ、文句なし。
自分の過ちのため犯罪を犯してしまった息子が警察に捕まったと聞いた松子…
伏した片手が後悔ともどかしさで文机の縁を強く握っている“高峰=松子”

ただペタッと突っ伏しているのとでは伝わるものが違う。
そしていざ息子との再会。
“高峰=松子”は歩み寄る途中息子の腕の手錠に気付きその哀れさにその手首に顔を寄せてゆく。

ここが僕としては切なくて印象に残った。
新作でも手錠に目を向けるシーンはあるけれど順序がちがうんだよね~
最後、息子が罪を償って戻るまで珠世が待っていてくれると聞き、犬神の遺産を引き継いで愛する人と暮らせるとわかって自らの命を絶つ松子が「よかった…」と呟くシーン。

“高峰=松子”美しい・・・
旧作のエンディングは金田一を見送ろうと出かけるそれぞれのシーンがとても印象的!

特に“坂口=はる”が履いた靴をトントンしながら言う「じゃ~行って来ま~す!」がすっごくイイ!

新作の終わりはなにやら間抜けな感じがします…
俳優の技量の差と言うのは確かにあるのだと思うけれど、演出や撮影によって大きく変わってくるものだとも思う。
新作は旧作に比べて全般的に“明るい”
なんだか全部キレイに隅々までよく見えるって感じ…
役者の配置なんかも重ならないでみんなちゃんと写るようにしてるんじゃないかってくらいちゃんとしてる。不自然なくらい…
監督もお年で目が悪くなったからこんな撮り方になっちゃったのかしらね?
演出でも“深田=はる”はもうちょっとどうにか出来なかったのかなと…
そんなわけで僕の大好きな映画『犬神家の一族』はやっぱり1976年度版となり、これからも繰り返し観ることになる。
映画Blog『シネマの自由時間』の“ロッカリアさん”はまた一歩踏み込んだ見方をしています
新作の方も毛嫌いせずもう一度観てみようと思いなおしました…
公開された1976年当時、角川書店がメディアと組んで新たなエンタメの形を発信し始め、多感なお年頃の僕はその戦略にどっぷり浸かりその後の『人間の証明』や『野性の証明』は観るのが当たり前のように劇場へ吸い込まれて行った。
私が映画好きになったのはこの時代のおかげだと思う。
そして翌年には名作『悪魔の手毬唄』が、その後も毎年のように『獄門島』『女王蜂』と続き、『病院坂の首縊りの家』で“石坂浩二さん=金田一”が終わってしまった。
数年後、市川崑監督のミステリ『天河伝説殺人事件』、豊川=金田一の『八つ墓村 』が公開されたが、いわゆる“石坂=金田一”のもつ独特な雰囲気を感じられず…
したがって『犬神家の一族』をはじめ“石坂=金田一”映画を繰り返し観てしまうわけで...
こんな思いをしているのは私だけではなく世には“市川崑監督”+“石坂=金田一”を待望する者は多く生息していて、そんな我々の思いがどこでどう通じたのか? 一昨年末(2006年12月16日)に30年の時を経て望みどおりのコンビで公開された!
(゜ー゜?)(。_。?)(゜-゜?)(。_。?)(゜ー゜?)(。_。?)(゜-゜?)(。_。?)(゜ー゜?)(。_。?)
あれから1年が経ち『新犬神家の一族』は公開時に観たきりとなっていた。
まぁ、あまりに期待しすぎたせいなのか、懐かしさに涙が出そうだったが作品的には満足出来ないものだった。
一体何がダメだと感じてしまったのか…?
2本をじっくり見比べてみたいとずーっと思っていた。
それがやっとこのお正月休みにできた『やてみたかったこと…』

(画像は基本的に上が旧作、下が新作とする)
本作で内容的にもビジュアル的にも非常に重要なのが“野々宮珠世”だ。
旧作では“島田陽子さん”、新作は“松嶋菜々子さん”が演じる。
新作を見る前から不安はあった… 「松嶋菜々子が珠世?」 ちがう。それはちがうぞ!





表向き犬神家と血縁ではない“野々宮珠世”は生活に不安は無くともアノいじわる三姉妹が育つような家では決してのびのび出来る筈も無く肩身の狭い思いをしてきたことが想像に難くない。
お金持ちの令嬢風ではあっても“影”と“儚さ”を感じさせてくれるはず…
僕が思うにこの“影”と“儚さ”が“島田=珠世”には有って“松嶋=珠世”からは感じられない。
正直“松嶋菜々子さん”は大好きだ。 でも“珠世”にはなりえない。
プロローグでの犬神佐兵衛翁の臨終場面。
“仲代達矢さん”演ずる佐兵衛翁はいまわの際だけれど今にもすくっと立ち上がって「刀をもて~ぃ。馬を引け~ぃ!」とか言いそうなくらい力強く見えてしまう。


セットや小道具、カメラワークやモノクロ映像など良いところももちろんあったけれど、結局は冒頭から“ケチ”をつけながら観初めてしまった…
“石坂=金田一”登場のシーンには感動した~!
こーゆーのは大事だな。まったく同じ感じ…

でも、新作では金田一と背景はCG合成だって書いてあった。 すごいね~!
さて、ここで那須ホテルの女中“はる”の登場。
旧作は“坂口良子さん”
金田一シリーズでは『獄門島』での床屋の娘でも好演している。
新作は“深田恭子さん”で、ここで圧倒的に差が出たと思った。



まず、金田一と出会うシーン。
“深田=はる”の歩き方がまるでダメ。
「前の方から怪しい風体の男が歩いてくるのに気付き、用心しながら歩いてきてください。」とでも指示がでていたのだろうか?
だったらあんな道の真ん中歩かせないだろうに。
“深田さん”は時代とか境遇とかを考えて役を演じているのかな?と思えるほどまったくしっくり来ない。
俳優のせいなのか、演出のせいなのか…?
力の抜けた田舎娘風の歩きをしている“坂口=はる”の上手さ!
民宿柏屋を営む夫婦にも納得がいかない…

旧作では超名バイプレヤー“三木のり平さん”が演じていた字の書けない主人久平役は誰がやっても勝てないだろうけれど、どうして奥さん役に“中村玉緒さん”をもって来たのだろうか?
人がやっと読めるかって程度の文字しか書けない奥さんの割にはしっかりしすぎるって言うか前に出すぎだと思う。
とにかく非常にバランスの悪さを感じた。
“中村玉緒さん”を奥さん役にするのなら主人役は顔も知らないような人でも使えばイイのに…
結構楽しめたのは“犬神小夜子”を演じた“川口晶さん”と“奥菜恵さん”
遺言状の内容がわかって珠世に「(結婚相手に)佐智さんを選んだら恨むわよ」と告げる小夜子…

旧作ではカメラは立ち去る“川口=小夜子”を追って行って、それから取り残された珠世が辛そうに儚げに部屋へ戻る。
新作ではとんでもない身長差のある二人が廊下を歩きながら話し始める。
脅すように強気で話す“奥菜=小夜子”だがあまりに小さいので可愛く見えちゃう。
そして最後は大きな珠世を残して退場、即次の場面に切り替わる…
これでは一方的に文句を言われた珠世の辛さも何も伝わらず余韻も無い。
“犬神小夜子”には他にも印象的なシーンが多い。


これはどちらもイイね…
とくにビックリしたマスオさんみたいに倒れるところが( ̄▽ ̄)b グッ!
金田一映画で忘れちゃいけないのが“加藤武さん”
旧作では“橘警察署長”、新作では“等々力署長”。
このシリーズで“加藤さん”と言えば「よし、わかった!」の名台詞とともに欠かせない。

さすがに30年前の馬力は感じられないけれど、これはこれでよかったかと…
そして新旧三姉妹。
僕としては圧倒的に旧作に軍配が上がっている。
が、新作で次女“犬神竹子”を演じた“松坂慶子さん”は凄く良かったと思う。

ちなみに旧次女役の“三条美紀さん”が新作では松子の母“お園”を演じていて、うれしい出演だけれど旧作の“原泉”の存在には敵い…

三女“犬神梅子”の新作“萬田久子さん”は旧作の“草笛光子さん”と比べてしまうと存在が薄い気がする。

そしてこの“草笛光子さん”が新作では琴の師匠役で出演していてイイ感じ。

旧作では“岸田今日子さん”が演じていて何と言うのかこの役には“岸田さん”がピッタリ過ぎるので、さしもの“草笛さん”でも太刀打ち出来ない。
そして長女“犬神松子”に関してはもう語るまでもない…
旧作“高峰三枝子さん”の存在感・上手さ、文句なし。
自分の過ちのため犯罪を犯してしまった息子が警察に捕まったと聞いた松子…
伏した片手が後悔ともどかしさで文机の縁を強く握っている“高峰=松子”

ただペタッと突っ伏しているのとでは伝わるものが違う。
そしていざ息子との再会。
“高峰=松子”は歩み寄る途中息子の腕の手錠に気付きその哀れさにその手首に顔を寄せてゆく。

ここが僕としては切なくて印象に残った。
新作でも手錠に目を向けるシーンはあるけれど順序がちがうんだよね~
最後、息子が罪を償って戻るまで珠世が待っていてくれると聞き、犬神の遺産を引き継いで愛する人と暮らせるとわかって自らの命を絶つ松子が「よかった…」と呟くシーン。

“高峰=松子”美しい・・・
旧作のエンディングは金田一を見送ろうと出かけるそれぞれのシーンがとても印象的!



特に“坂口=はる”が履いた靴をトントンしながら言う「じゃ~行って来ま~す!」がすっごくイイ!

新作の終わりはなにやら間抜けな感じがします…
俳優の技量の差と言うのは確かにあるのだと思うけれど、演出や撮影によって大きく変わってくるものだとも思う。
新作は旧作に比べて全般的に“明るい”
なんだか全部キレイに隅々までよく見えるって感じ…
役者の配置なんかも重ならないでみんなちゃんと写るようにしてるんじゃないかってくらいちゃんとしてる。不自然なくらい…
監督もお年で目が悪くなったからこんな撮り方になっちゃったのかしらね?
演出でも“深田=はる”はもうちょっとどうにか出来なかったのかなと…
そんなわけで僕の大好きな映画『犬神家の一族』はやっぱり1976年度版となり、これからも繰り返し観ることになる。
映画Blog『シネマの自由時間』の“ロッカリアさん”はまた一歩踏み込んだ見方をしています
新作の方も毛嫌いせずもう一度観てみようと思いなおしました…
スポンサーサイト
| ホーム |